おはようございます。
大人になってから、勉強しなくちゃいけないことになって、
はっ!!
としたことはありませんか、
大人になっても勉強かよ的な。
資格試験や研究、事例検討会、資格のために学校に行き直したり。
実際、結構ありますよね。
大人になってからの勉強は、効率の良さが絶対です。
机に座って「さあやろう!」なんて、高校生のノリでできないのが現状。
通勤中、車、電車、バスのなかどこでもできないといけないですよね。
時間帯も選べない。
自分は15分くらい早く出勤して、車の中で頭の中にインストール感じです。
一生勉強なんでしょうか、そうでしょうね。
好きなことであれば受け入れられるのですけど。
柔術メンバーである義弟に
「柔術のノート見せて!」
というの謎のリクエスト。(柔術ブログに書くネタ、興味あることある?の問いのアンサー。思いつかず絞り出しただけなのかもしれない)
こんなもん誰が見たいんだろう、というのがありました。
こればかりは自分の世界で、自分の部屋よりやばいところがあります汗。
このノートは「柔術をものにしてやろう!」っていう強い気持ちから、誰を真似たわけでもなく、自発的に始めた学習です。
私にとっての柔術は大人になってからの勉強でした、基礎も全くありませんでした。
まるっきり素人で、コンプレックスと不安と恐怖ばかりでしたから、勉強するしかありませんでした。
その勉強意欲は、次のあるレベル、高い目標をクリアするために、時間さえ惜しいくらいに燃えていました。
表紙は自分を鼓舞する、目標が書き殴られていて、やばい感じがにじみ出ています。
2006年か2007年くらいのものだと思います。10年前ですね。
「極秘」とありますが、開けたくもない、怖さがあります。
「常識を疑え、変化を喜べ」
当時から、先生がレクチャーしてくれるものはすぐに覚え、さらにそれを上書きするように、アレンジを加えていく。というやり方をしていました。先生にとっては、言ったことはやらないし、厄介な生徒だったと思います。
「常識を疑え」です。
常識を疑うことで、「常識を理解すること」が大前提になるんです。
先生が教えてくれる技=既存の常識の技、それにアレンジを加える=疑う。
既存の常識の技を覚えて、隅々まで理解しないと、アレンジを加える意味がないし、アレンジの良さも戦いに反映されないのです。
常識を疑うことで、「技を理解する」ことにプレッシャーを与え続けていたということです。
先生が教えてくれた技はすぐに覚えて、すぐに人に教える。自分はその過程で理解完了して、自分の練習はアレンジすることに費やす。
アレンジ=新技の開発
この仕組みなら、学習速度はギガ級です。
ノートというよりメモです、
メモをまとめたものがノートって呼びますよね普通。
授業を受けながらノートを作るって相当レベル高い、それができたらスゴい。
自分のノートはほとんど文字で構成されています。
とにかくアウトプットです。
それはどんな形でも良しです。
アウトプットした分、新しいものをインプットできるの法則です。
あだ名、略語、暗号、暗号のような選手の名前で構成されている私の柔術ノートは驚異そのものです。
写真のページはシャンジ・ヒベイロのDVDを見ながら書いたものです。まだマシですね。
動画とか写真は便利なんですが、やはり学習にはノートです。
要は、頭の中で何回想像したか、分解したか、組み立てたか、なのです。
それが学習の肝です。
動画や写真は、記録した瞬間に、「後で見ればいい」という安心感が生まれ、後で再生した時に、「いつでも見れるから」という、緊張ない状態が生まれます。
ペンと紙しかなければ、「今書かなければ、今表現しなければ忘れてしまう」
この緊張感が大事です!
柔術以外にも使える考え方だと思います。
次回練習は3/5サンテラアリーナ柔道場18:00〜です。キッズクラスはあります。
佐渡ブラジリアン柔術クラブ
少数精鋭だからレベルに合った練習ができます!
見学、体験大歓迎です。
bjjsado2014アットgmail.com(スパム対策アットを@に変更してください)
月の練習予定
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